国際仲裁が当事者にとって望ましい紛争解決方法である理由として、迅速であること、費用が安いこと、プロセスが非公開であること、裁定が確定すること、当事者自治など、多くの理由が挙げられます。
これらの要因のいくつかは議論の余地がありますが(特に非常に複雑な商事案件の場合)、仲裁の当事者が従来の法廷訴訟よりも多くの自治権を持つことができるという事実は、通常議論の余地はありません。
仲裁における当事者自治は、多くの場合、契約当事者が他の紛争解決方法よりも仲裁を検討する重要な要素になります。何故ならばコントロールと確実性を求めることは、人間の生来の欲求であり、自治は安全感と穏やかさをもたらしてくれるからです。
コントロールと確実性の必要性
コロナ禍が経済と多くのビジネスに悪影響を与えたことは間違いありません。また、人々の精神的健康にも大きな打撃を与えました。世界の人・物の動きや経済活動が強く制限されるなか、友人や同僚と社会的距離を置くことを余儀なくされ、より多くの家族が家に閉じこもり、自宅でのプライバシーと個人的な空間の欠如に対処しなければなりませんでした。人によってはウイルスの感染を恐れ接触や社交を一切絶つ人も少なくありません。
ロックダウンと学校の閉鎖は、働く親にとって雇用・働き方の悪化による収入の減少や、オンライン授業を受ける子供の世話・サポートなど、コロナ禍がもたらした日常の
大きな変化に極度のストレスに堕ち、配偶者や子供との言い争いに発展することが多くあり、夫婦の別居と離婚することも珍しくありませんでした。
心理学者は「心理や行動は、良くも悪くも周囲の状況にあわせて柔軟に変化する」と述べています。例えば、予算を守ったり節約したりして金銭をコントロールすると、安心感を得ることができますが、逆にコントロールできないことに目を向けると、その安心感が失われ、不安に陥ることが多くなります。
ストレスを高めてしまいかねないコロナ禍の状況で、事実を知り、ニュースにとらわれず、ウイルスの拡散をできるだけ防ぐことで、ストレスを適切にコントロール・管理することができます。これは人間として、生活の中で特定の要素をコントロールできると自信や安心感を感じるという心理学と強く結びついています。
私たちの身の上に起こる出来事や周囲に存在する物事は、関心の有無、そして影響を及ぼせるか否かで分類することができます。心理カウンセラーは、不安を抱えている人をサポートするとき際に、しばしば「関心の輪」「影響の輪」と「コントロールの輪」いう3つの輪の概念を活用することがあります。
「コントロールの輪」とは、自分の考え、言葉、行動や振る舞い、考え方、決断など、自分でコントロールできるものから構成されています。
「影響の輪」とは、自分が行動することで変化や影響を与えられるもの(人間関係、生活習慣、スポーツの試合に勝つか、ビジネスが成功する等)です。
「関心の輪」は、自分でコントロール出来ない物事(天気、ウィルスの感染者数、景気、自然災害等)が含まれます。
次の図は、上記で説明したさまざまな輪の関係を示しています。
コロナ禍で影響の輪やコントロールの輪に焦点を当てた人は、手の消毒、マスクの着用、リモートワークの手配、オンラインでの友人との連絡など、生活習慣を自分の行動でコントロールしたことで、無数の不確実性とストレスレベルを管理することができ、「新しい日常」にスムーズに適応できたということです。
仲裁は、私たちにコントロールの感覚を与えます
コントロールの輪の概念は、紛争解決のメカニズムを選択する際にも応用することができます。実際、紛争には紛争の期間、費用、結果など、多くの不確定要素があり、大きなストレスとなりかねます。その中で仲裁には根本的な当事者自治の要素が、そのようなストレスを軽減するのに役立つのです。
当事者自治は、紛争が始まる前であっても仲裁手続においては非常に一般的です。契約条項では、当事者は仲裁によって紛争を解決することに同意し、何人の仲裁人を任命するか、仲裁地、どこで仲裁を行うか、どの仲裁機関が仲裁を管理する
かを決定できます。したがって、当事者は将来の紛争に対して一定レベルのコントロールを行使することができ、紛争が発生した場合にも安心感が得られます。
紛争において特定の事柄をコントロールできることは、心理的に重要です。それは、当事者が契約を締結する際に必要とする信頼と安全を提供するだけでなく、紛争が発生した場合に、当事者が(ある程度)何を期待するかを知っているということでもあります。適切に作成された仲裁条項により、当事者は問題をスムーズに仲裁に付託することができ、当事者が選択した仲裁人を選任してそのケースを判断してもらうという、従来の法廷訴訟では得られないプロセスが可能になります。
仲裁プロセスの柔軟性は、契約作成時だけではなく、仲裁手続きの全過程にわたって普及していることも意味します。例えば、ほとんどの仲裁機関規則では、紛争の金額やその他の特定の条件に応じて、当事者が迅速な手続きを選択できるようにする仕組みが用意されています。
多くの仲裁機関は、仲裁をより効率的にし、当事者のニーズを満たすために、その施設やプロセスの改善を常に追求しています。ここ数年、コロナの制限に対応するために仲裁では、オンライン審問が容易に利用できるようになりましたが、オンライン法廷審問は多くの法廷(タイを含む)ではまだ一般的ではありません。
下記の図は、仲裁が私たちの「関心の輪」「影響の輪」と「コントロールの輪」にどのような影響を与えうるかを示しています。
タイにおける仲裁の現状
仲裁手段の肯定的な要素にもかかわらず、タイでは仲裁手続きはまだ一般的な紛争解決手段とはなっていません。これには多くの理由がありますが、そのひとつはタイの商業企業にとって仲裁が何を意味し、何をもたらすかについて、まだ認識が不足しているように思われるからです。人々は混乱や紛争が起きたときに確実性や安定性を求めるため、紛争に遭遇したときに慣れ親しんだ伝統的な紛争解決メカニズム、すなわち裁判所を利用する傾向があります。
タイでは仲裁を促進するために幾つかの措置がとられています。
第一に、ここ数年、外国人仲裁人や代理人がタイで働きやすくなるような進展がありました。2019 年のタイにおける仲裁法の改正により、タイの仲裁で選任された外国仲裁人や代理人は、タイの仲裁機関 (タイ仲裁協会 (「TAI」) または タイ仲裁センター 「THAC」) に「証明書」を要求することができるようになりました。この証明書
により、外国の仲裁人や代理人はタイで労働許可証を一時的に取得し、特定の事件に取り組むために一定期間タイに居住することができます。
仲裁人や仲裁実務家を含む裁判外紛争解決の高度なスキルを持つ専門家への「スマート ビザ」の拡張も前向きな進展の一つです。スマート ビザには、労働許可証の取得免除や、スマートビザの配偶者と子供がタイに滞在して働く権利 (一定の条件付き) など、一般的なビザと比較して追加の特権が与えられています。これらは、仲裁で外国仲裁人や代理人を選任したい人にとって、当事者自治を高める上で歓迎すべき変更です。
第二に、タイの裁判所は仲裁判断を支持し、仲裁判断の執行に対する偽りの異議申し立てを却下することで、より仲裁を支持する姿勢を示し始めています。タイでは、敗訴側が仲裁判断を無効にしたり、仲裁判断の執行に異議を唱えたりする際によく利用する理由が、仲裁判断の執行が公序良俗に反するというものです。しかし、仲裁判断に介入することは、仲裁によって紛争を解決するという目的に反すること[1]、仲裁廷には事案の事実を考慮する裁量があること[2]、裁判所は証拠の許容性や重みに関する仲裁廷の裁量を繰り返し判断できないことを根拠に[3]、仲裁判断を支持した最高裁判所判決が数多くあります。
タイにおける仲裁促進という点で大きな動きを示した最も注目を集めた案件は、ホープウェル・ホールディングス・リミテッド とタイ運輸省およびタイ国鉄の間の案件案件です。この案件で最高行政裁判所は、当事者が国または国家関連団体であるにもかかわらず、ホープウェルに有利な仲裁判断を指示しました[4] 。
第三に、近年、タイの仲裁機関 (TAI、THAC、英国仲裁人協会 (CIArb) など)は、タイにおける仲裁の認知度向上と教育のための活動、セミナー/ウェビナー、トレーニングの開催に力を入れています。
タイにおける仲裁の未来
仲裁の威力と影響力は、決して過小評価できるものではありません。当事者が紛争をよりコントロールできる仲裁に加えて、特にタイでは外国の仲裁判断が外国の裁判所の判決よりも迅速かつ容易に承認・執行されることも大きな利点です。現在、
タイには外国の判決を承認する法律はなく、タイは外国判決の執行を容易にする二国間または他国との相互の執行協定の締約国でもありません。
したがって、当事者が外国裁判所で判決を得た場合、その当事者はタイで改めて訴訟手続きを開始する必要があり、その際、外国の判決を証拠資料の一部としてのみ使用することができます。これに対して 、外国仲裁判断の承認および執行に関する条約 (1958) (別名ニューヨーク条約) の締約国である国で行われた外国仲裁判断は、タイの仲裁法 2545 (2002)に基づきタイの裁判所でより効率的に執行することができます。
仲裁判断の執行を求める当事者は、その判断が執行可能になった日から3年以内にタイの裁判所に執行決定の申請書を提出することができます。 このような申請は相手方当事者から異議を申し立てられる可能性がありますが、タイの裁判所が仲裁法に従って執行を拒否する法的根拠は制限されているため[1]、上記のようにタイの裁判所では仲裁を支持する判決が多く見られます。
仲裁のメリットは当事者だけでなく、経済にも大きな影響を与える可能性があります。外国直接投資(FDI)はタイの経済成長にとって重要な要素であり、多くの外国人投資家はタイの裁判所での訴訟よりも仲裁を好みます。タイで行われる国際仲裁は、外国の仲裁人、弁護士、当事者をタイに引き寄せることもでき、その結果、観光にも促進されます。
シンガポールや香港などでは、ADRメカニズムに仲裁を組み込むことに成功しており、シンガポール国際仲裁センター(SIAC)や香港国際仲裁センター(HKIAC)を経由する仲裁事件の数は、タイの仲裁機関を経由する事件の数をはるかに上回っています。
タイで仲裁がより重要視されるためには、いくつかの障害に対処する必要があります。
第一に、仲裁を契約に盛り込むことの潜在的なメリットに対する認識を高めるため、法学部、企業、実務家の間で、仲裁とは何かについてより多くの研修が必要です。
第二に、タイでの国際仲裁の経験を増やすことが必要です。タイへの外国直接投資(FDI)の増加と、より多くの外国人をタイに呼び込むことを目的とした最近の政府政策に照らして、この要素は重要となってきます。これを実現する方法のひとつは、タイでの仲裁案件に関与する外国人仲裁人や代理人をより多く迎えることです。先に述べた2019年の入国制限の緩和は、この点で前向きな一歩を踏み出したと言えます。
第三に、タイにおける仲裁判断の効率化と執行を改善するために、仲裁判断の執行または異議の申し立てに関する事案は、実際に仲裁経験を積んだ裁判官に任せられ、決定されるべきです。
結論
仲裁による紛争解決には多くのメリットがあり、この記事は、そうしたメリットの1つである仲裁における当事者自治と、これが当事者に心理的にプラスの影響を与えることに焦点を当てました。
仲裁ではコントロールの輪と影響の輪内のいくつかの要素を行使することにより、当事者は紛争をコントロールしているという感覚を持つ事ができます。 これにより、紛争状況では避けられない不安やストレスが軽減されます。
タイの仲裁に関しては、仲裁法の改正や司法の姿勢など、ここ数年見られるポジティブな軌道が続くことが期待されます。 経済が回復し、今後数か月で FDI が増加すると予想されるため、タイで優先される紛争解決メカニズムとして仲裁を検討し始める好機かもしれません。
詳細については、著者または弊所の日本プラクティスチームまで、お気軽にお問い合わせください。
[1] Section 41, 42 and 43 of Thai Arbitration Act B.E. 2545 (2002)
[1] Supreme Court judgment No. 6411/2560 (2017)
[2] Supreme Court judgment No. 1465/2560 (2017)
[3] Supreme Court judgment No. 5560-5536/2562 (2019)
[4] Supreme Administrative Court Case No. 221-223/2562 (2019)
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